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タグ「平清盛」の一覧

若一神社(にゃくいちじんじゃ)

平清盛ゆかりの若一神社は西大路通沿いにあり、こんもりとした樹々に包まれています。
若一神社

御神木の楠は樹齢800年以上といわれます。
若一神社

寿命社は能で知られる高砂尉と姥と祀っていて、縁結び・夫婦円満・子孫繁栄・延命長寿のご利益があるとされています。
恋愛成就の結縁守りもあります。

若一神社 宿泊案内と交通アクセス

【宿泊案内】 若一神社にお参りするなら、JR京都駅周辺のホテルがよいでしょう。
近鉄京都駅の直上のリーズナブルでスタイリッシュなホテル「ホテル近鉄京都駅」はおすすめ。
チェック ホテル近鉄京都駅
所在地京都府下京区七条御所ノ内本町98
料金境内自由
時間日中随時
アクセスJR京都線「西大路駅」より徒歩約5分
市バス「西大路八条」徒歩約1分
駐車場なし(近くにコインパーキング有り)


若一神社


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大河ドラマ『平清盛』が盛り上がってきました。
平清盛
必然的に京都の平清盛ゆかりの地を訪れたいという人も増えると思いますので、いくつか清盛スポットをご紹介したいと思います。

古い時代のことですから、いま訪れても豪華なところはあんまりなくて、地味なスポットが多いです。あなたの歴史の知識と想像力で補ってくださいませ。

また、「平家物語」では前半の悪の主人公が平清盛ですから、清盛の悪行の跡といった雰囲気のところもあります。

なお、掲載した写真は季節がバラバラですがお許しください。

若一神社

若一神社
平清盛の邸宅である西八条第の敷地の中の鎮守社だったのが若一神社(にゃくいちじんじゃ)です。
清盛が太政大臣にまで昇り詰めたことで、開運出世の神様として崇められるようになりました。
境内には石造りの清盛像が立っています。衣冠束帯の正装の姿です。
西大路通を邪魔するかのように大きく枝を広げる大楠は平清盛の御手植えだと伝えられています。樹齢は850年。
チェック 若一神社

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鞍馬寺

鞍馬寺
源義経ゆかりの鞍馬寺。平清盛は常磐御前を愛妾にする替わりに子供達の命を永らえました。牛若丸は鞍馬寺に預けられます。その後の歴史はみなさまの知るとおり。
チェック 鞍馬寺

法勝寺


いまの京都市動物園界隈は、藤原一族の別荘地「白河院」でした。白河天皇の手に渡ったのちは6つの大きな寺院が建てられ、中でも法勝寺(ほっしょうじ)には81メートルもある九重塔が造られました。もちろん清盛も目にしていたはずです。
いまの動物園内の観覧車の辺りです。
塔は地震や火災による焼失と再建を繰り返しましたが、時代とともに衰退し応仁の乱の後、廃寺となりました。
写真はアスニーに展示されている模型に青空をつけてみたもの。
チェック 法勝寺

西八条第跡

西八条第跡 平清盛の邸宅だった西八条第は、梅小路公園やJR東海道線と山陰線の線路のあたりにありました。
清盛が熱病で死んだ2日後には放火によって焼け落ちました。
その後、平家が都落ちする際には完全に焼き払われたそうです。

2012年のいまは新しい水族館ができて、梅小路公園は大混雑しています。

八坂神社

八坂神社
四条通の東の突き当たりに鎮座する八坂神社。平清盛が1147年に田楽の奉納を行ったという記録が残っています。このとき、清盛の郎党と神社の神人がもめ事を起こして、清盛は後で罰金を払っています。
チェック 八坂神社

長楽寺

長楽寺 平清盛の娘である建礼門院は、壇ノ浦の戦いでその子安徳天皇とともに入水しましたが、引き上げられて捕らえられました。その後出家したのがこの長楽寺です。
円山公園の奥のほうにあります。
お座敷で建礼門院像と対峙していると、ときどき彼女の目がキョロッと動きます。(そんな気がします)
チェック 長楽寺

寂光院

寂光院
建礼門院が長楽寺で剃髪した後、終生を過ごしたお寺が大原の寂光院です。
入寺したのは29歳。
自分の子である安徳天皇と平家一族の冥福をただ祈りながら日々を過ごしていたといわれます。
写真は隣接している建礼門院大原西陵の前の桜。
チェック 寂光院

祇王寺

祇王寺
平家物語によれば、一時清盛の寵愛を受けた白拍子たち(祇王と祇女姉妹、仏御前ら)が出家のために入ったお寺です。ここでも清盛は女たちの人生を翻弄する悪役の顔です。
苔むす庭に楓のシェイプが陰影を作り、たいへん美しい世界を見せています。秋の敷き紅葉も必見です。
チェック 祇王寺

神護寺

神護寺の紅葉
神護寺には平清盛の長男平重盛の肖像画が残っています。国宝です。毎年ゴールデンウィークのころにだけ公開されています。
チェック 神護寺

六道珍皇寺

六道珍皇寺
平安時代からこの辺りは葬送の道筋で、「六道の辻」と呼ばれていました。平清盛が熱病で死去した後、荼毘に付したのが六道珍皇寺付近だといわれています。
チェック 六道珍皇寺

六波羅蜜寺

六波羅蜜寺
平家一門の拠点となったのがこの六波羅蜜寺を中心とする区域です。 清盛の父・忠盛が軍の駐留地に選んだのが始まりで、平家の最盛期には5200もの邸宅が建っていたそうです。
境内には清盛塚(供養塔)があり、宝物館には教科書に載っている出家した後の平清盛坐像が安置されています。
平清盛
チェック 六波羅蜜寺

長講堂

長講堂
後白河法皇が六条御所の中に持仏堂を建てたのが、長講堂の起こりとされています。 元の場所からは豊臣秀吉によって移転させられています。
後白河法皇の木像や肖像画、後白河法皇直筆の「過去現在牒」などの寺宝があります。
過去現在牒には法皇に関わった人の名前が記されています。 身分の上下や男女も関係なく書かれているのが興味深いです。平清盛や源義経(源義行)の名前も記されています。

清閑寺

清閑寺
宮中一の美女と誉れの高かった小督局が、清盛の怒りを買って宮中から追い出され、尼にさせられたのが東山の清閑寺です。「平家物語」目線なので、ここでも清盛は悪役です。紅葉が美しいお寺で、小督も好んだといわれています。
チェック 清閑寺

三十三間堂

三十三間堂
三十三間堂の正式名は、蓮華王院。後白河法皇が平清盛の協力を受け、法住寺殿の中に建てました。
南北に120メートルもある長いお堂に、国宝千手観音坐像と1000体の千手観音立像、風神雷神や二十八部衆像が並んでいて壮観です。
いま見ることができるお堂は鎌倉時代に再建されたものですが、千手観音立像の124体は平安時代のものです。
これらの仏様たちは後白河法皇の眠る法住寺陵を向いて立っています。

法住寺

法住寺
いまは小さなお寺ですが、当時は広大な敷地を持つ後白河法皇の離宮・法住寺殿で、ここが院政の拠点となっていました。
阿弥陀堂には後白河法皇像が安置されています。ゴールデンウィークに公開されています。
チェック 法住寺

新熊野神社

新熊野神社
新熊野神社は後白河上皇が平清盛・平重盛に命じて建てさせた神社です。 この地も法住寺殿の敷地の一部でした。
熊野から勧請するため、資材は熊野から運び、神域には那智の浜の青い小石が敷き詰められたそうです。
いまも巨大な楠が枝を広げています。後白河上皇のお手植えの楠だといわれています。
チェック 新熊野神社

五条天神社

五条天神社
牛若丸(源義経)と弁慶が初めて出会い戦ったのが五条天神社の杜だといわれています。
松原通はかつての五条通で、五条の橋はいまの五条大橋でも松原橋でもなく、当時流れていた西洞院川にかかる橋だったそうです。
いまは町なかのこぢんまりした商店街になっていて、なかなか森だった当時のイメージは浮かびません。
チェック 五条天神社

厳島神社

京都御苑の百日紅
厳島神社は京都御苑の中にある3つの神社のうちのひとつ。 平清盛が母の祇園女御のために、安芸の厳島神社の神様を祀ったのが始まりといわれます。 池の弁天さんとも。

神泉苑

神泉苑のツツジ
神泉苑は当時はいまの二条城も含む広大な敷地でした。 源義経が静御前を見初めた地として知られていますが、その雨乞いの儀式を開催したのは後白河法皇です。
チェック 神泉苑

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