清少納言枕草子」にも登場する京都のスポットをいくつかご紹介します。
清少納言「枕草子」

清少納言は、清原元輔の娘。本名は伝わっていません。なぎこさんだったという説があるそうです。
「枕草子」は一条天皇中宮定子に仕え、内裏清涼殿にいる7年くらいの間に書いたもの。20代後半から30代半ばまでですね。
そのとき清少納言はバツイチで、こどももいて、ふたり目の旦那さんは年配のひとでした。
中宮定子は24歳で亡くなっています。清少納言の宮仕えはそれで終わり。旦那さんのいる大阪に住んだようです。
その後はどうなったかあまり知られていません。晩年は京都に戻り泉涌寺のあたりに住んだとも。

内裏

平安時代の御所「大内裏」の位置は、千本通を中心線とする東西1.2キロ南北1.4キロの大きな四角形。
平安時代の大内裏

いまは千本丸太町をちょっと上がった公園に太極殿跡の石碑が建っています。
清少納言が出仕していたのは天皇が住まう内裏で、いまの浄福寺通出水のあたり。道のすごく細いごちゃごちゃした住宅街です。
実は枕草子で「春はあけぼの」を清少納言が見たであろうポイントもわかっているそうで、「清少納言東山観望地」と記されたお宅があります。

船岡山

平安京の中心線上にあるこんもりした丘が船岡山です。
船岡山

五山の送り火がなんとか全部見えるというスポットです(鳥居は無理だったか)。公園と建勲神社があります。
枕草子231段に、「岡は船岡。片岡。鞆岡は、笹の生ひたるが、をかしきなり。談の岡。人見の岡。」とあります。
平安時代、この岡に立てば真南に内裏が見えたのでしょうか。遠く羅城門も見えたかも。
船岡山の東側に雲林院・知足院というお寺があり、清少納言はその門前で車を停めさせて「祭りの還さ」を見物したことも書いています。(38段)
「祭りの還さ見るとて、雲林院、知足院などのまへに車をたてたれば、ほととぎすもしのばぬにやあらん、鳴くに、いとようまねびにせて、木だかき木どもの中にもろ声も鳴きたるこそ、さすがにおかしけれ。」

清水寺

京都でもっともメジャーなお寺のひとつ清水寺。
清水寺
枕草子231段では「さわがしきもの 走り火。板屋の上にて烏の齋の産飯食ふ。十八日に清水に籠りあひたる。」としています。
十八日の縁日の清水参りは押すな押すなの大混雑だったのですね。平安時代に。

212段「清水などにまいりて、坂もとのぼるほどに、柴炊くかの、いみじうあはれなるこそおかしけれ。」

224段「清水にこもりたりしに、わざと御使して給わせたりし唐の紙の赤みたるに、草にて、『山ちかき入相のかねの声ごとにこふるこころの数はしるらんものを、こよなの長居や』とぞかかせ給へる。紙などのなめげならぬも、とりわすれたる旅にて、紫なる蓮のはなびらにかきてまいらす。」

鞍馬寺

鞍馬寺の山門をくぐってケーブルカーの駅を過ぎると、本堂へ続くジグザグの九十九折り(つづらおり)の道が始まります。
鞍馬寺の桜

枕草子170段に「近うて遠きもの 宮のべの祭り。思はぬはらから、親族の仲。くらまのつづらおりといふ道。師走のつごもりの日、正月のついたちの日のほど」とあります。
距離は1kmほど。いまでも同じく近くて遠いかんじがします。
「つづらおりといふ道」という表現をしているので、実際に清少納言がその場を歩いたかどうかははっきりしないようです。

逆に171段の「遠くて近きもの」も面白いです。
「極楽・船の道・男女の仲」

石清水八幡宮

京都府八幡市の石清水八幡宮。
石清水八幡宮の紅葉
枕草子135段で、猶めでたきこととして岩清水八幡宮の祭をとてもくわしく描写しています。
八幡は内裏からはとても遠いですが、清少納言は何度か訪れたのでしょう。
123段では石清水八幡宮への行幸から一条帝が帰ってきた際のことを書いています。

泉涌寺

東山の月輪山のふもとにある泉涌寺。
泉涌寺

近くに清少納言のお父さんの清原元輔の別荘があり、彼女が晩年を過ごしたともいわれています。
今熊野観音寺は元は清少納言の生家だとも。
泉涌寺の境内に歌碑が建てられています。写真の右奥に見えます。
泉涌寺

伏見稲荷大社

外国人に人気が高く、千本鳥居あたりは外国人がわんさか集まっている伏見稲荷大社。
伏見稲荷大社
清少納言もお詣りをしています。
151段「うらやましげなるもの」では清少納言がお稲荷さんに詣でて、急坂で疲れてヒーヒー言っていると、40過ぎの女が軽々と追い越していくので、うらやましい!と思ったのでした。
その女が他のひとに話しているのをきくと、一日七度参りの三度目なのだとか。
お稲荷さんは平安時代はいまのように石段続きではなく、山道だったのでしょうか。

下鴨神社・上賀茂神社

下鴨神社と上賀茂神社は平安時代は賀茂神社の上社・下社。
169段「神は」では「賀茂、さらなり。」「賀茂神社はいうまでもなく素晴らしい」と書いています。
葵祭
葵祭(賀茂祭)は6世紀ごろから続く京都を代表する祭事。下鴨神社と上賀茂神社のお祭りです。
枕草子では「四月、祭りのころいとをかし。」から始まり、祭が近くなって人々が浮き立つ様子や、祭当日の行列の様子などを描写しています。

松尾大社

169段で「神は松尾」と一番に挙げています。
山吹が咲き乱れるお酒の神様松尾大社です。
松尾大社

大原野神社

169段に大原野神社の名前も見ることができます。春日社は藤原氏の氏神だから有り難いと。
大原野神社

平野神社

平安時代から桜の名所として知られる平野神社。169段に登場。
平野神社の桜


平安時代に決められた社格「二十二社註式」には京都では、石清水(石清水八幡宮)、賀茂(上賀茂神社・下鴨神社)、松尾(松尾大社)、平埜(平野神社)、稲荷(伏見稲荷大社)、大原野(大原野神社)、梅宮(梅宮大社)、吉田(吉田神社)、祇園(八坂神社)、北野(北野天満宮)、貴布禰(貴船神社)が入っています。
吉田神社や八坂神社、北野天満宮、貴船神社にも清少納言はお詣りしたでしょうか。

広隆寺

210段で、8月末日に太秦に詣でたことを書いています。
広隆寺の桜

田植えのころ賀茂へ詣でたのに、いまはもう稲刈りしている。季節の過ぎるのは早いなあと感じたようです。

笠置寺

「寺は、壺坂。笠置。法輪。霊山は釈迦仏の御すみかなるがあはれなるなり。石山。粉河。志賀。」 とあります。
岩盤に巨大な虚空蔵菩薩が彫られていて、それが笠置寺の本尊となっています。いまは光背の窪みだけが残っています。
笠置寺

虚空蔵法輪寺

嵐山の虚空蔵山中腹にあり渡月橋を見おろせるお寺、虚空蔵法輪寺。「寺は、壺坂。笠置。法輪。」とあります。
嵐山法輪寺の紅葉
    

この記事は酒井順子さんの枕草子REMIXほかを参考に書きました。
枕草子REMIX

このページをシェアする